kotono in midnight

見た目はFabulous、中身はpolitical

「自分は世間的に見ても可愛い」という自意識をもっていく覚悟をするというか、そういう話

こんばんは、Kotono in midnightです。

最近すごく言語化したいことがあって、それは「可愛さ」における自意識の話。

ずっと「自分は可愛いけど、ブスなときが多い。それに世間的にはそんなに可愛いわけではないし、整った顔ではないから、ちゃんと弁えて生きてく方が楽だ」

こんなふうに本気で考えていた。これはとんだ間違いで、つまり「世間の価値観なんてぶち壊せ!可愛さは人の数だけある!だから私って可愛い♡」といった、所謂商業化されたセルフラブとは話が全然違っていて、「自分は世間的に見ても可愛い」と自意識をもっていく覚悟をするというか、そういう話。

そういうことを大真面目に話す必要があるのではないかと、最近急に考えが纏まってきた。

この自意識をもって、自分が可愛いと周りに思って欲しいわけでもなく、可愛いから自尊心をあげようという話でもなく、どう生きるかの話というのが一番近いかもしれない。

 

私は可愛い人を見ても嫉妬しない。もちろん羨ましいなぁとは思う、でもトキメキが圧倒的に勝つし、可愛い人のことがすごく好きだと思う。ただ私がなぜ嫉妬しないかの大きな要因の一つに、「可愛い人に好いてもらいやすい」ことがまずあると思う。ここで言う可愛いはつまり、世間的に見ても可愛い人のことと言ってしまうが、では何をもってして可愛いとジャッジしてるかについては自意識の話ではする必要がないと思うので割愛。

この好意は、私が相手の外見より中身に興味があると感じ取ってくれていることが大きいはずだけれど、多分少なからず「ことのちゃんは私の辛い部分もわかってくれるかも」と心を開いてくれているのではないかと思う。それは、可愛い人も私のことを可愛いと思ってくれているからと言っていいと思う。実際に私は、可愛い人がどんなことに傷ついたり、辛いと思っていたりするか、人それぞれながら話してもらったり読んだりして、部分的にわかる。

自分の未熟さゆえに他人に嫉妬して、相手を傷つける甘ったれた人間には到底わからない、可愛い人だけが背負わされる生きづらさがある。

でも可愛い人は同時に、得もする。(言葉が雑だが) その得さえも人によっては辛いが、その得を上手く利用できる可愛い人はたくさんいるので、結果が全てと言わんばかりに、可愛い人は口を閉ざすことを余儀なくされることが多い。

可愛い人のそばにいるとき、自分は自然に"2番手"だと思ってきた。相手をたてたりしたことはなくても、そう"弁えて"きた。

ただ私はこの考えを改めた方が良い。むしろ同類だと考えた方がいい。

これは主観の話で、友達がそう思っていると想像しているわけでは全くないし、同類と考えることで相手への態度や言葉選びが変わることはないと言い切っておく。

 

ここまで言ってしまって、可愛くない人はいないと断言する。ひとそれぞれに可愛さはある。可愛さを求めていない人も、逃れたい人も、どうしても可愛い。それはもう避けられない。

個性のない人がいないことと同じレイヤーの話だと思う。

 

本当にバカみたいだと思われても仕方ないと思う。でも、これは私の人生をよりよくする、とても重要な話だと確信している。

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