悲しい。
本当に、こんなこと、あまりにも悲しすぎる。
私は、元々りゅうちぇるが好きなんです。他人事なくせにうるさい人が多いと思って、昨日は友達と悲しみを分かち合うことに専念した。否定派も、差別に反対する人も、りゅうちぇるを記号化しないで。本人について、誰も何もわかってないんだから。
もっともっと私はりゅうちぇるのファンですと表明して誹謗中傷や差別をやめろ、と言えば良かった、そんな風には考えないようにしているけれど、そう思わずにはいられない。
私1人が何かできるはずがなかったけど、何もできなかったことは、心から悔やんでいます。
私は、りゅうちぇるの面白いところが何より好きだった。ファッションセンスも、笑顔も、生き方も、世間に提示してくれている考え方や選ぶ言葉も、全部好きだった。お風呂が嫌いなところも。
りゅうちぇるが登壇したトークイベントで、質問ではないけど大好きですと伝えたことがある。ありがとう〜と丁寧に私の気持ちを受け取ってくれたと思った。愛に溢れた人だから。
地元・沖縄が大好きなりゅうちぇる。最近沖縄に帰れていないとのことで、それも悲しく思う。
沖縄出身で、クィアで、この2要素を見るだけでも、りゅうちぇるは人々に癒しと勇気を与えられる存在でいてくれた。
正直、甘えていたなと思う。いつも闘ってくれて言葉を尽くしてくれていて、それがずっと続くと思っていた。
とてつもなく、悲しい。
でも到底、何も届かない。誰も届けられない。
何がそうさせたかは本人にしかわからない。けれど、世間にはあらゆる責任があると思う。
朝になって、昨夜Yahooニュースが「芸能人の訃報 心が苦しい人へ」というタイトルの記事を出していたのを見て、憤りを感じた。Abemaの記事の転載だった。
どいつもこいつも、どの口が「情報から物理的に離れて」と言える?
お前らがその"情報"を垂れ流して来ただろう。
こんなときだけ"辛い人"に寄り添ったような口振りで、白々しいにも程がある。黙れ。
ヘイターは無責任で、思考停止している人間ほど声がでかい。思考停止できるということは多数派であるということ。それを自覚させる情報を発信しろよ。
無責任なのは誰だ。大勢の人間が人の人生に文句つけて汚した手と手。ぬかるんで何も掴めやしないだろう。
りゅうちぇるは、りゅうちぇるのファンを救ってきた。誰のことも騙していない。
どいつもこいつも、なぜ言葉の裏を読もうとする?土足でズケズケと。卑怯な人間が読もうとするのは裏ではない。空白だ。本当は何も見えていないくせに。
私は、りゅうちぇるがどんな風に歳を重ねるか楽しみにしていた。ぺこりんと新しい家族の形を築いていくと私たちファンに教えてくれたとき、心がぽっと明るくなるようだった。
新しい家族のかたち。すごいな、嬉しいな、同じ時代を生きていて幸運だなと思いながら、見守らせてもらっていた。
性愛だけで結ばれているわけじゃない家族。現代を生きる私たちには必要な形、それは人それぞれの形がある、と教えてくれるということそのものなんだ。
人生のパートナーになると、何度も話し合って2人が決めた。それ以上でも以下でもない。
自分らしく生きるだけだった。
存在そのものが希望だった。
ぺこりんのことも好きなので勝手に心配してしまうけれど、今はただ、何も言えない。
何もできなかったけど、りゅうちぇるが生きていたことを忘れずにいる・残すために、私は物語を捧げることに決めました。
小説を書くのは初めてなので短めの短編になるとは思いますが、ちょうどこの夏寄稿しようと思っている物語を考え中なので、秋頃読んでもらえると思います。
書くことが癒しになるといい。読んでもらうことを癒しにできるかはわかりませんが、そう願いながら書きます。
そして9月2日の夜、新宿で友人と共催してクィアパーティもする予定です。
そこでは怒りや悲しみを踊ることで解放したり発散したり受け止めたり、癒しを得たりできる場を目指しています。
どんなにこの世が腐っても、生きている者たちがどのような生き方をするかが、これからをつくる。
私は何ができるか、何がしたいか。何と闘うのか。