私が最近、また頻繁に政治のことを書くようになったのは、単純にやっと元気になってきた(昨年からずいぶん元気がない時期が続いていた)からということと、社会課題に取り組む活動に本格的に身を置き始めたから。
私にも政治のことは考えたくなくてショート動画しか見られない時期はあったし、本が読めなくなる時期も長かった、行かないのに無駄にホストクラブの用語に詳しくなったこともある。
高市政権になってから、あまりにもスピーディーに選挙や国会で最悪が更新され続けていくことに強すぎる憤りを感じて、それに疲れて、自分が現状に対してどう感じているのかわからなくなってしまっていた。高市が日本で女性初の総理大臣であることは、何にも喜ばしいことではない。この国のジェンダーギャップをさらに押し広げることになると確信できる名誉男性ぶりであること、女性なのに女性や社会的弱者を迷いなく切り捨てることを隠しもせず、下劣極まりない自民党の下衆議員や統一教会を優先するためだけに存在していることは、まるでこの国が積み上げてきた社会のゴミを煮詰めて擬人化したかのようで、直視することが難しい。
そんなこんなだと、どんどん反応が鈍くなってくる。誰だって憤りに支配されたくないし、直視したくないものからは距離を置きたいよね。
でも私は次第に、高市政権の思う"壺"にだけはなりたくないという意思も強まっていった。奴らの"壺"とは?それは無力感に支配される人々を増やし、無知でいる人々を笑顔で騙し、そうはいかない人々を分断すること。「分断して統治せよ」。
そんなことは許せない、なんとか踏ん張りたいと思い始めたときに聞いたのは、国会前のせんそうさせない緊急アクションでの、東京大学大学院教授の本田由紀さんの「そこをどけ」という力強い拒否だった。本田さんのスピーチは知性で怒りを表現し、誰にでも届く言葉で的確に高市政権を批判していて、何度聞いても涙がでるくらい心強い。そこを、どけ!お前の居場所じゃない。そう言う権利が私にはある。周りのみんなにもある。
そう思うと言葉が湧いてくる。自分はそんなに弱くないと思えてくる。気が狂いそうになりながら、精神的に元気で、責任感に支えられ、なんとか正気を保つ近頃。
もっと精神力を鍛えたいなと思っていたところ、先日のめちゃくちゃな政治に抗議するアクションでの東洋学園大学非常勤講師の伊与田昌慶さんのスピーチが、私に力を与えてくれるようだった。
冷静でい続けるための確実な方法がひとつあります。
それは、無知でいることです。問題に向き合うことなく、目を閉ざして、それを知らずにいれば誰よりも冷静でいられるでしょう。今、子供たちが傷つき苦しんでいる中で、政治のリーダーたちはなぜ冷静でいられるのでしょうか。
クソみたいな家父長制ミソジニー社会では、「女はすぐ感情的になる」とバカにされがちだから、冷静でいよう、と意識することは多い。でも、こんな世の中で、なぜ冷静でいられるのか。
私が抱えるこの憤りは、紛れもなく正当なものだと思えると、心がすっと静かになるのを感じる。この憤りを、自分なりの知性で言葉にしたいと思う。もっともっと語彙力を高めて、言葉を研ぎ澄ませたい。それが誰かの何かになってほしい。そして何より、自分の言葉で自分を救いたい。
分断したくない。みんながバラバラのまま、まとまる方へ向かいたい。ひとつひとつの共通点を繋ぎ合わせてそれを繰り返して、少しずつ無知だったり無関心な人々を巻き込みたい。問題に向き合うことを、もっと身近に。分断は、"壺"に身を投じること。それを1人でも多く食い止められたら。少しでも、違和感を無視しなくて良い方へ。
ペンは武器よりも強い。言葉に力を宿したい。
私の今の元気はいつまで続くかわからない。でも、元気なときもそうでないときも私は私。だから、元気がなくなった時に見返して少し力になるように、今感じていることをここに書き記しておく。
サイゼリヤで時間を持て余しているときの、なぜか少し異国情緒を感じる私でおしまい。







