kotono in midnight

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「結婚の自由をすべての人に」訴訟、東京一次訴訟判決

こんばんは、Kotono in midnightです。

 

2022年11月30日、更新遅れましたが今日はタイトルの件の日でしたね。判決が出るまでドキドキで、最悪の判決を覚悟しながらも、どうしても期待が抑えられず苦しかったです。(現状、期待したい要素がもうこの社会には多すぎるのよ正直問題)実際、第一線で戦ってくださっている原告の方々や弁護士の方々、スタッフの方々など、本当にお疲れ様でした。

結果、

「結婚の自由をすべての人に」東京一次訴訟について、本日、東京地裁は、現行法上、同性愛者についてパートナーと家族となるための法制度が存在しないことは、同性カップルの人格的生存に対する重大な脅威・障害であり、個人の尊厳に照らして合理的な理由があるとはいえないとして、憲法24条2項に違反する状態にあると判断しました。

【東京地裁一次判決】代表理事からのご挨拶 直ちに立法作業に着手を | 結婚の自由をすべての人に - Marriage for All Japan -

 

東京に関しては途中で裁判長が変わったそうで、前裁判長は原告の訴えを聞く姿勢が全くない人だったそう。でも裁判長が変わってからは風向きも変わったそうで、「個人の尊厳に照らして合理的な理由があるとは言えない」とは全くその通り、それを原告の方々が証明してくださったことを、心から感謝しています。

 

原告の方が裁判中に亡くなってしまったことからも言えるように、同性婚の法制化は"理解"を待つフェーズになく、一刻を争う現実的な課題として国が動かないといけない。

今回の判決ってつまり「法制度ないと原告たち全く守られてなくね?国が法制度どないかせなあかんのじゃね?」ってことでもあり、法治国家としてまともに機能するなら「おっとそりゃ守らなきゃいけなくね?動くべ…!」となるのが正常ってことですよね。

 

無知な人々の偏見や、組織的な誤った共通認識など、道を妨げているのは非現実的なことだけ。

結婚するという選択を必要としている人は、生活・人生のために戦っているというのに。

 

マイノリティにとって役に立たない道徳心や犠牲心ばかり誇りに思うよりも、優先すべきは個々の尊厳が守られる人権意識を根付かせることなのではないかと、考えない日はありません。

この国は、どれだけの犠牲を生み出せば"多様性"が実現されると言うのだろうか。どれだけの犠牲が、"虹色に染められた"まがいものの多様性に邪魔をされればいいのだろうか。

 

私自身がパンセクシャルということもあり、「選択の自由」にはかなり切実な想いを抱えています。将来もし結婚が視野に入ったとき、相手の性別によっては当たり前の権利が断たれてしまっているなんて、ありえないとしか思えない。ありえない状態(これは非現実的という意味では全くなく)で、家族として生活を営んでおられる人々が、人生を歩んでいる人々がいる。

 

ただ、家族として享受できる当たり前の権利を平等に得るだけ。

家族とは、人生を共にする方法を一緒に考えていく人たち、誰かが沈みそうになれば無条件に引っ張り上げることができる関係、のことを言うのだと私は考えています。

家族のなかの ふうふ は、子を産み育てるだけで関係性を築くわけではないし、さらには子を産む、子を育てる方法もひとつではないですよね。

ひとりひとりの血筋よりも、いざというときに傍にいられる、命に関わる選択に責任が持てる、そういう権利が重要です。天秤にかける程でもないくらい。

"伝統的な"考え方に縛られた古い価値観に基づく"家族の絆"は、法で守られるという命綱にかなうはずがないんです。

 

まだ裁判は全国で続くとのことで、引き続き心から応援させてもらいます。

本当に、大切な戦いをありがとうございます。お疲れ様です。

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夏に行ったプライドパレードで拝見したメッセージボードでおしまい。