kotono in midnight

見た目はFabulous、中身はpolitical

東京トランスマーチ2022 〜アライとして参加して〜

こんばんは、Kotono in midnightです。

 

ここは私の日記ブログですが、今回は表題について報告のような形で書きます。

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プラカードには「一緒に生きてる人々と当たり前の権利を訴えてる、それだけ」と片面に書いています。もう片面は

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「早く「性同一性障害特例法」を是正して!人権守れ!」と書きました。特例法について一つ前の日記で少し触れています。

 

まず、東京トランスマーチはWAIFUのフロートで歩いてきました。プラカードを用意してメイクも服装もキメて、コールもしっかり声を出しました。「フゥー!」とか奇声も発しまくったし、あと踊ったね。笑

アライとして一番大事にしたことというか目標は、「なんか楽しそうなことをやってる、トランスジェンダーのことか」と参加していない層つまりマジョリティに関心を向けさせることです。そして「自分も混ざってみたいかも」と思わせるチャンスをできるだけ逃すまい、と必死に新宿を見ていました。そう思わせるためのメイクやファッションであり、デモやマーチでキメてくることはすごく重要で政治的なことだと考えています。

プラカードの言葉も日本語にして、マジョリティに向けました。英語で書いてある人も、英語が苦手でもわかる簡単で力強い言葉ばかりで、かなり共感したというか、同じ意識を感じ取りました。

 

プラカードはほとんどずっと沿道に向けて、読んでくれ!と念を送り続けていました。大抵視線を感じた方へ向き、手を振ると振り返してくれるということも多かったです。

中でも貴重な体験ができて、というのもマーチの途中、寿司職人が店の前に立ってこちらを厳しい目で見ていたので、しつこく手を振ったら低い位置で小さく手を振り返してくれるということがあったんです。

「気のいい陽気なやつに手を振られて、好き嫌い抜きで悪い気になる人はいない」と信じることって必要で、もう無視されたって気にせず陽気なバカ(元々バカです)をやり続けることは私の特技なので全うしましたし、目標を少しでも達成するために必死なんですよ。

 

ただただ「自分が少しでも、世間の誤解を解くキッカケになりたい」と切実でした。意思のない人やこちらに対して肯定的な人を味方につける最大のチャンスだから。

 

もう、簡単なことを真面目にちゃんとやる、これに尽きます。

その最たることが「楽しむこと」と思います。

「結局は楽しいことに人が寄ってくるから」と友人と話していましたが、これは実際そうで否定しようがないので、やっぱり楽しみたかったし、確かに楽しかったんです。

私の1番の感想は「楽しかった」です。

フロート車に乗ってスピーチやコールをしてくれていた友人と「ただ楽しいだけじゃなくて、意義のある楽しさだった」と話したことが強く印象に残っています。

そしてその友人が、マーチの終盤で(うろ覚えごめん)「帰ったらまたみんな別々で寂しくなるけど、繋がってる」というようなことも言ってくれていて、それは本当に切実に、みんなでそう思っていようよ、本当にそうだと思うよ、と感じました。

「ともにあるためのフェミニズム」とは、WAIFUのフロートのメインテーマのようなもので、トランスの存在なくしてフェミニズムはなりたたないという主張がみんなに共有されており、かなりパワフルでした。まず音楽も良いし、WAIFUには信頼を寄せているので、前提としてもう自分が自分でいられる居場所でもあるので、自分の小さな(しかし大切な)力を発揮しやすいのもありがたかったです。

 

私はアライとして、当事者の辛いことにばかり目を向けることはしたくありません。

だって同じ社会で生きてるし、人生辛いことだけじゃないでしょう。というか、辛いことだけであってたまるかよ。

つまり、東京トランスマーチは「楽しい思い出をつくるお祭り」の役割を担っている側面が大きいと思っていて、それもまた現実と向き合うことに繋がるんだと私は信じています。

一人でも多くの人に、やっぱり、生きて欲しい。涙が溢れるくらいにそう思う。

死を選ぶことや、望むこと、やめてくれと言ってるんじゃないんです。

 

トランスジェンダー追悼の日、この日だけ死を弔うわけじゃないけれど、この日があるということは、奪われた命をなかったことにしてはいけないということ。それはつまり、現になかったことにされているということ。書いていて、泣いてしまう。

おかしいよ社会。

 

色んな方法を見出しながら、差別が人の命を奪う、それは絶対に許してはならないこと、本当に人が死んでいるということを、社会の共通認識にしていきたい。そこからですよねまだ全然。当事者のもう待てないという声を届けるべく、楽しむところから繋げていきたいと思って、私なりに全力を尽くしました。

キッカケがあれば、グアッて、広まるかもしれないって期待、せずにいられない。

差別することより、差別を許さないことの方が容易い。

 

言及できていないことの方が多いのは重々承知ですが、これが私のリアルです。