kotono in midnight

見た目はFabulous、中身はpolitical

希望を定義するという希望 〜皆さん ことよろ〜

あけましておめでとうございます、Kotono in midnightです。

 

新年早々なに話そう…と迷ったのですが、ここはもう話しきっておきたい「エルピス ー希望、あるいは災いー」について、聞いてもらうことにしましょうかね。

エルピス —希望、あるいは災い— | 関西テレビ放送 カンテレ

 

やー、凄かったです。

超ざっくり言うと、ひとつの冤罪事件を軸にテレビ局の人間模様を描いて「何が希望で何が災いか」を深く突き詰めてゆくドラマなんですよね。

 

前もこのドラマについて触れたんですけど、ちょうどドラマの中盤くらいだったんですよ。

主人公のひとりである岸本が"勝ち組でいさせてもらうために負け続けてきた"ことを認めてからどうなるかが楽しみ、ってところで前半が終わり、後半からの岸本の飛躍がまじでエグくて、人間が失うものなど何もないのだと気づいて突き進む様ってこうなんだ、と驚かされたんです。

ほんとに顔が違うんですよ、岸本の。「良い〜目!」って何度唸ったか笑

 

自分の話してすみませんけど(いつもだから大丈夫よ)、私もある種、失うものなど何もない人間なんですよね。でも、「あー私、めちゃくちゃ怯むやん。世の中、怖いことばっかりやわ」と思い知らされることが増えたというか。なんかそれって"挑戦してるから怖いことにぶち当たる"とかそういうことじゃないと思っていて。怖いことって思いがけず降りかかってきますよね。「……。うん?ぐあっ。怖…どうしよ…」みたいな。

岸本の始まりもこれやと思います。でも彼は、その怖さをひょいひょい飛び越えていっちゃう。

さっきまで震えてたのに。さっきまで鼻水垂らして泣いてたのに。

 

彼には「浅川恵那」がいる。

彼にとって彼女は「絶対に信じられる存在」であり、失うかどうかがまず思考回路の中にないんですよ。

これってめちゃくちゃ強い。こんな人に出会える人って世の中そういない。

このドラマはそれを描くから面白いんだと思いました。だって、この強さ知らないもん。こんな存在がどう進んでいくか全くわからない。岸本のことも恵那のこともわからない。

このドラマのサブキャラとかモブキャラとかはめちゃくちゃ気色悪い奴らばっかなんです。つまり見たことある、知ってる奴らばっかり。ゾワゾワゾワッと、思い出したくない記憶がチラつく。でも、岸本も恵那も出会ったことがない。岸本に自分を重ねるのはお門違いと思いながらも、どうしても重ねたくなってしまうというか、「あなたたちはどこまで行くんですか?」と聞きたくなってしまう。

 

最終的に岸本は、組織の中では悲しいくらい孤立する。「知らない間に周りは敵だらけで」ってセリフと岸本が置かれた状況が、以前の自分を思い出してしまって、身体を雑巾絞りされてるかのような苦しみが襲った。でもそうしてもがく中で、岸本と恵那の関係性を思うと涙がでた。

強い。「何があっても絶対に信じられる存在」というのは。

尊い。「この人さえいれば何があっても平気」と思えることは。

 

途中から岸本と恵那の関係性の間に欠かせない存在となっていくのが村井。

ドラマ内で1番のカタルシスとなった(と思う)局内のセットを物理的にぶち壊すシーン。

多くの視聴者が、テレビを見られない境遇に立たされた人々が、番組を作る側の人間が、そこから離脱した人々が、心の底で抱いている怒り。

 

「どいつもこいつも正義面しやがって」

 

この世の中は一体、誰が誰を守るために機能しているのだろうか。

もうバカバカしくなって、悲しくて、憤って、それでも、ここで死ぬわけにはいかないんだと歯を食いしばって生きれてしまっている人々に、この世の中の正義などなんの価値もない。

いつしか、「希望」という言葉が胡散臭くなってしまった。それは、日本の報道機関がそうしたと私は思う。

 

でもこのドラマは諦めなかった。

「希望って、誰かを信じられるっていうことなんだね。」

「ありがとう、今日までいつも目の前にいてくれて」

渡辺さんは、恵那にそう言わせてみせた。

 

今この絶望が深い時代に、希望を定義するという希望。

「希望」という言葉を救い出すような、奇跡を手繰り寄せるかのような、そんな力が宿っているこのドラマを見られるという喜び。

 

私は、私が思う以上に「諦めたくない」と思っていると気づかされたし、きっと多くの人もそうなんじゃないか、と思う。

諦めたくないというのはつまり、信じたいということなんじゃないだろうか。

 

諦めたくないよ。岸本にとっての恵那みたいな存在が、いてほしい。

私自身が誰かにとっての恵那になれるかどうかはわからない。

でも、「私のことを誰も信じないでください」とは言いたくない。

 

信じ合える関係になれるように、目の前にいてくれてありがとうと言い合えるように、一緒に生きられる人の手を掴みながら、希望を抱いていたい。

何にも恥ずかしがることはないんだ。

 

この1年も、きっと絶望させられることばかりが起きてしまうだろうと予想できる。

それでも、希望を育むことはできる。私たちで。

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