kotono in midnight

見た目はFabulous、中身はpolitical

あんなさんのTwitterスペース、映画後のラーメン

こんばんは、Kotono in midnightです。

 

日記ブログ再開してまだ5日目だけど、やっぱり自分が普段どういうことをよく考えるのかわかって楽しくなってきました。自分のことがわかる、と感じるのは幸せ。

前はバイトの行き帰りの電車と眠れない時間で書いてたけど、今は暇さえあれば日記ブログ書いてます。笑

なんか一人の時間の中心がこれになって来た…。

 

今日はTwitterですごく有意義なというか、大事な話だ…と思うスペースを聞いてました。

あんなさん @annaPHd9pj  がホストで、内容は主に「"日本が安全"というのはシス男性にとってであり、性犯罪においてアメリカの統計と日本の現状は別軸の話、今がピークに日本が美化されている」というもの。

そう、めちゃくちゃおもしろいというか、わかりすぎて温かくて嬉しかった。

なんかね、日本での痴漢を海外に向けて訴えると、「アメリカではこんなに凶悪な事件があるんだ、こんな統計がある、それらに比べて日本はマシだ」みたいな反応って必ずあって、いや、でもそれらってひとつひとつ別だから、っていう。

アメリカでは凶悪な犯罪が多い、そんなこと全て被害側に関係ないし、自分の身に起きたことは自分が感じたことが全てなわけで。被害を矮小化されやすい理由は日本のジェンダーギャップを見れば合点が行く。そもそも日本の統計は性被害を立件することに高い壁があるんだから現実的な数じゃない。さらにはかなり陰湿な性犯罪が蔓延しているのも酷い。電車で痴漢被害にあったことない人の方が少ないであろうこの国のどこが安全なんだ、と私も日々感じる。

なんかコメントで「ライオンの怖さと寄生虫の怖さと、って感じですかね」って例えてらっしゃる方いて、わかりやすすぎた。

しかも日本の性犯罪はかなり理性が働いているという話も納得だった。ここまでなら大丈夫だろう、とか、これだったら犯罪とされないだろう、とか、その人生変わらない(被害者は変わるのに)ギリギリのラインをせめているケースが多い。それはかなり被害側が自尊心を削られる思考・行為で、まさに寄生虫のように被害側を這いつくばりながら増殖し続けている。加害側の自尊心も著しく低いんじゃないかとも思う。

問題の根本はいつも加害側にある。

それでも加害側の立場が強すぎて認知の歪みが放置されている。

 

痴漢は被害側の自己防衛でなくすものじゃない。加害側が痴漢に対する認識を変えなければならない。

そのためにもっと加害側が変わるべきだという風潮がこの国で主流になっていって欲しいヮ。

 

とか、1人でスペースを聞きながら考えていた、いい時間でした。

 

この話をしたらだいたいこのくらいの文字数で、という上限を超えたので今日はこの辺で。

f:id:kotonoinmidnight:20221022004417j:image

夜は仲良しの友達と「アフター・ヤン」を観てラーメン食べたくなったから食べてきましたん。

映画の話はまた聞いてください。良すぎたので。