こんばんは、Kotono in midnightです。
昨日は、Kotono in 泣かずにはいられnightでした。
何。詳しく話そう。聞いてくれるかい。
ドラマ『ハート・ストッパー』でゲイである主人公の恋人・ニックというバイセクシャルの役を演じ、一躍クィアコミュニティのスターとなった俳優・キット・コナーの話。
彼は自身のセクシャリティを明示せず、しかしこのドラマの出演を経てLGBTQIA+当事者やアライに留まらず、世界中の人々をエンパワメントしている立派な俳優です。
そんな彼が今年の9月に女の子とみられる人と手を繋いで歩いていたところを目撃され、それを知った一部の(しかし多くの)ファンたちは、「クィアベイティングだ」などと彼を批判したそうです。
『ハートストッパー』ニック役のキット・コナー、セクシュアリティを詮索されカミングアウトを余儀なくされる - フロントロウ -海外セレブ&海外カルチャー情報を発信
そもそもクィア・ベイティングとは、というところから改めておさらいしましょうか。
クィアベイティングとは、LGBTQIA+の当事者ではないアーティストや著名人、キャラクターなどの性的指向の曖昧さをほのめかし、LGBTQIA+の人々をはじめ、世間の人々をひきつけようとするマーケティング・ブランディング手法である。
特にLGBTQIA+のファンをミスリードするメディア作品を糾弾する用語で、人間には適用されない。
批判される理由は、LGBTQIA+のアイデンティティを商品化し、注目を集めるために利用する点にある。
つまり、彼を「クィアベイティング」と批判できるとするなら、何かのためにニックというキャラクターを利用してビジネス展開していたり、メディアで何か惑わせるような発言や振る舞いをしているということになりますね。
彼が私たちファン(に留まらず世界中の人々)にしたことを一部あげましょうか。
・ドラマ『ハート・ストッパー』で、バイセクシャルの役を演じ、原作のイメージもしくはそれ以上の演技で私たちを感動させる
・自分が演じた役に責任を持ち、愛に溢れた賢い人間らしいエンパワメントをしてくれる
・ロンドンのプライドパレードでコミュニティの最前線に立ち、差別主義者を真っ向から批判する
・私たちのセクシャリティが自由であっていいことを、18歳という若さで伝えてくれる
要するに彼のしてきたことは、ひとつたりともクィアベイティングに当てはまらない。
自分のセクシャリティをカミングアウトする必要はない、と考えた彼のプライベートに踏み込むことがどれだけ軽薄で下劣なことかわからないんでしょうかね。ちなみにドラマの中では、SOGIの説明がなく、わからないメインキャラクターが何人もいます。ドラマのスタンス、メッセージ、何もかも受け取っていない。
彼は周囲(身近な人間ではない)の圧力により、バイセクシャルであるとカムアウトした、つまりこれはアウティングと同義であり、希死念慮に繋がりかねない危険な状態だと私は危惧しています。
ドラマでは、キットが演じたニックのカムアウトの仕方は非常に誠実で、充実感が伝わるもので、最適なタイミングでなされ、当事者に勇気を与えるものでした。
私も勇気をもらったうちの一人です。
例えば、私の親は薄々気づいているかもしれませんが、私がパンセクシャルであることを彼らにはカムアウトしていません。
でもその時がきたら、ニックみたいに親と温かい気持ちを共有したいな、と思います。
なぜ、そんなニックを演じた俳優が、カムアウトの自由を奪われなければならなかったのか。
なぜ、セクシャリティの説明を求められなければならないのか。説明がないと気が済まない、それは批判した人間の内側に問題があるのであって、キット・コナーにはない。
自分の未熟さを他者に押し付けるなよ。
この世の中で、バイセクシャルやパンセクシャルなど、対象が複数のジェンダーに向くセクシャリティを自認して生きることは、様々な葛藤や偏見を抱えることを余儀なくされてしまいます。
個人的な話、私は自分がパンセクシャルだと自認するまでに、気づき始めてから何年もかかりました。
私には、特定のジェンダーしか愛せないという感覚がわからない。「愛さない」ということはずっとしてきましたが、「愛せない」と思ったことはありません。だからといって=パンセクシャルだ、というふうには至れないのが、このセクシャリティの良さでもあり辛さでもあると思います。
キット・コナーが、自分の性自認がバイセクシャルであることにどこまでしっくり来ているのか、私にはわからないけど、きっと18歳という若さでは語り尽くせないはずです。まだわかっていないことも多いはずです。
発言を見てるとかなり成熟した立派な人だと思うけれど、でも、18歳ですよ。
私がもしキット・コナーの立場なら、死にたくて仕方ないと思ってしまうだろうと想像することは簡単で、本当に本当に胸が張り裂けそう。
なぜなら、私が若い頃に死にたいと思わなかったのは、この社会で、このセクシャリティを知らなかったから。説明を求められず、自分の問題として誰かに邪魔をされたりしなかった。
知ってからも、自認してからも、カムアウトの自由があるから。誰かにジャッジされたり、詮索されたりしていないから。
自分が誰と一緒にいるかで、誰と親しい関係を育むかで自分をジャッジされるなんて、耐えられない。そんなことあってはならない。
キット・コナーさんが適切なケアを受け、自分が愛されているということ、人を勇気づけてきたことに集中できることを願ってやみません。
周りの大人が、友人が、大切な人々が、彼を守ってくれますように。
そして、クィアベイティングの意義を正しく理解しようともせず、理不尽な現状に加担した人間の一人でも多くが、自分のしたことの危険性を反省し、恥を知って欲しいと思います。
最後に『ハート・ストッパー』というドラマが、これからも悩みを抱えている一人でも多くのLGBTQIA+当事者に届き、「幸せになる権利がある」と前向きな気持ちの連鎖を途絶えさせられず、続いてくれますように。