kotono in midnight

見た目はFabulous、中身はpolitical

何度誰のことも助けられないと言い聞かせても、そういう思いが捨てられない。

最近考えてることについて。

"容姿なんて、何だっていい。ありのままで美しいとか、別に美しいかどうか自体、どうだっていい。美しくなろうとしなくていい。"

そういう考え方が自分の周りでは、すごく正しいこととされているように思う。そして確かに正しい。私は個人的に、美容整形外科を筆頭に「美しくなるべき」という、ルッキズムを助長する資本主義的な消費の煽りと戦いたいと思う。

でも実際、"美しく"なりたいと切実に努力する人は世の中にたくさんいて、私もその1人。

自分の周り=リベラルな中で、私はそういう美しくなりたいと努力する人たちをうっすら下に見ている空気を感じてきた。自分の外見ばかりに気を取られて本当に必要なことを見ていない、という考えが見え透いている人は、多い。

一方で、ちゃんみなの『美人』という曲は、若者を筆頭に多くの人を生かしているのだろうと思う。

"I’m a fxxking woman And I’m fxxking beautiful God here I am We’re fxxking women And we’re fxxking beautiful"

これほどシンプルな叫びに、みな真剣に泣くのだ。ちゃんみなの覚悟に、心を動かされるのだ。

私もそうだ。

そしてこの曲にはこんな歌詞もある。

"前例がないのは怖いかい ならお手本になりなさい 怖がったままでどうすんだい あの彼女を助けなさい"

これほどちゃんみなにしか歌えない歌詞はないと思うほど、自身を歌い表している歌詞。

話が飛躍するようだが、私がやりたいのは、"あの彼女"に私を見つけてもらうことなのだと思う。

私は、私が誰かを助けたいと思うことは傲慢だと考えながらも、個人レベルで自分の考えをいつもオープンにしてきた。

でもやっぱり、自分の言葉で、誰かを少しでも元気にしたり、笑わせたり、時にはしにたい気持ちを軽くしたりしたい。

芸人になりたいのだろうか…。

というのは冗談で笑、何度誰のことも助けられないと言い聞かせても、そういう思いが捨てられない。

もちろんその誰かがくっきりと存在するとき、私はその人の全てを背負うことはできないから、無責任で、だからやっぱり傲慢だとは思う。

でも、やっぱりちゃんと、少しでも誰かを助けられる人間になることを目指したい。

 

だから、自分は何も変わらないけど、変わりたい。そしてこれからどんどん変わったと思われるようになっていきたい。それはきっと悪い意味も含まれてくるはず。そうじゃないといけない。

私が1番助けたいのは、自分を美しいと思いたくても思えなくて、もがいている人。ありのままでいいと思えない人。美しくなりたいと思う人。

一緒に美しくなっていこう、って言えたら良いな。私も美しくなりたい。

"美しさ"を強要する、ルッキズムを助長する煽りから、1人でも多くの人が解放されて欲しい。消費されることを許さず、自分のために美しくなっていこう。

美しさとはなにか考えることは、私を元気にする。元気なんてなくても生きているだけで良い。でも元気がでれば、少し楽にならないか。

スマホ越しの私を見て、誰かが少し笑ってくれる未来を想像する。着飾ることをより楽しめるようになってくれる未来を想像する。これまで出来なかった、やりたかったことができるようになる未来を想像する。

私は、自分のことばっかり考えてしまう人間だけど、"あの彼女"に見つけてもらえるように、色んな恥を捨てたい。周りとは違う方向に行かないと、見つけてもらえない。

変わりたい。