こんばんは、Kotono in midnightです。
昨日終電でクラブに向かっていたら、駅から出てきた女の人が人目を気にせず泣きながら歩いてた。その人に何があったか全く知らない、どんな涙かもわからないのに、咄嗟に「綺麗だな」と思ってしまった。
知らない人が泣いている姿を見ると、少し安心するんです。その人に対する安心感というよりは、他人に、泣くほどの出来事があった、というその事実に。
生きている、ひとりひとりに人生がある。なんだか無条件に抱きしめたくなってしまう。でも私はその人のことを「綺麗だな」と思うだけで過ぎ去ってゆくし、「綺麗ですよ」とも言わない。抱きしめることも絶対にしない。
ひとりひとりの人生だから。
最近クラブでは、自分に対してすごく素直になって過ごすようにしてる。フロアの状態がどんなでも、「今は踊りたい」と思ったら思い切り踊って、のれなかったら全く踊らない、とか、疲れたらいつでもダラダラしたりとか、フロアで良いバイブス放出してる人の近くに行ったりとか(特に話さない)、一人なのにぶち上がったら容赦なく叫ぶとか。
泣くほどのことは、起こらないけど。
つまり何も我慢しない。限りなくワイルドな状態。これをたくさんの人がいる空間でできるってことが、クラブの一番の良さと私は思ってる。
すごくストレス解消になる。ここで言ったかもしれないけど、私はストレス"発散"ができない。バン!と一気に吹き飛ばせたら良いんだけど、少しずつ解いていくしかないような。
こうやってワイルドな状態でいられることの積み重ねは私にとって結構切実かもしれない。
最近はもう、一人の時はハラスメントにNOを呈してるパーティーを選んで行ってるので、どんな踊り方でもくっついてくる人もいないし、すごく気が楽。
昔、すごく好きだった人にすごく傷つけられた夜、一人でクラブに行ったことがあった。
本当につまらなかった。もう帰る手段がないけど朝までいるには長すぎて、ワンナイトも気分じゃなければ踊る気力もなくて。
そのとき私は「傷つけられた人間」でいることを誰かに勘づかれたくないという気持ちがあったし、傷つけられたことを惨めだと思っていて、誰かに惨めな人間だと思われるのも悔しいと思っていた。
つまらないのは私だった。
今なら、傷つけられた心を労りながら好き勝手に踊る。誰かに何か思われても、それが私にとっては全て無価値であることを知っている。傷ついたなら、感じた気持ちは私が一番わかってあげたい。その気持ちを大事にするために踊ればいい。
癒しのダンス。振り付けは全て私が決める。
復讐すればいいでしょ。生き抜いて、傷を昇華してみせる。
怒りが染み付く一方のこの身体にとって、踊ることは、一番気持ちいいこと。
本当はもう、とっくに抱えきれない。
そんな私の救世主、BIBIちゃん。次は彼女の曲について話せたらと思います。
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